2011年10月06日

一人さんの眼力の話


斉藤一人さんの言葉

日本人は意見が割れると、とことん話し合います

アメリカは多数決だから、51対49なら、51にしたがう、ということで、タッタタッタと進みます

日本人は「半数近くが反対してるんだから」って、ずぅーっと話し合いで決めようとするのです

これは、日本独特です

「なぜ、そんなことをするんですか?」といったとき、日本は、元々、瑞穂(みずほ)の国といって、農業国だったからなんです

コメというのは、田んぼに水があって、お日様がほどよく照っていればすくすくと伸びる

お百姓さんたちが集まって、どんなに長く話し合いをしてても、コメは確実に伸びるのです

だから、あんなに悠長にしていられた

この習慣がずっと続いていて、日本人はとことん話し合いをする

お互い、くたびれるまで、最後の一人が「うん」というまで話し合います

ところが、農業以外のことになってくると、決断を早くしなかったらチャンスを逃すし、
場合によっては被害が出たりするから、51対49で「51の意見で、そら行け」なのです

わかりますか?

農業は話し合っていてもいいのです

コメはそれでも育ってくれて、食べていけるのだから

でも、他のことでも、ずぅーっと話し合うのですね、日本人は

アメリカ人なんかは、長々と会議ばっかりをやってる日本人を見ると
「いったい、何をしてるんだ!」と思うらしいのだけど

なぜ、日本人がそうなったかというのがわかってくると

「ああ、そういうわけだったんだ」って思うんですよね(笑)

そういうことを見抜くのも眼力です

ホントに、人間、見抜く眼力がないとね

見抜いていなかったら、振り回されっぱなしになってしまいます

リーマンショックで不況がきて、一時、テレビで証券会社のアナリストだかがこういっていました

「もう、不景気は底をついたから」って

でも、あれは、株が売れなくなったりして自分たちに不都合があるから明るいことをいってるんであって

そこを見抜かないと、いけませんよね

それから、この前、テレビを見ていたら、ある人が「これからの時代、学歴でどんどん差がつく」とかいっていました

お金持ちの家の子供は、塾に行けるし、大学にも行ける

だけど、お金のない家の子供は塾にも大学にも行かしてもらえないから、どんどん格差が広がるんだとか、どうとか

いうこと自体、別にいいのです

それも、一つの考えですからね

ただ、私はいいたい

人には学校へ行く権利がある

だけど「学校へ行かない」という権利もあるんだよ、って

世間の人は、常に片方だけが正しいように思うけれど、そうではないのです

たとえば、パティシエになりたいとか、コックさんになりたいとか、
大工さんや商人になるために、早く社会に出たい人も、なかにはいるんです

ちなみにいうと、私は中学しか、出ていません

それでも、一応、日本で一番税金を払っています(笑)

自分でいうのもなんだけど、私の家は豊かでした

私が望めば、高校でも大学でも、喜んで行かしてくれたのです

ただ、私は「自分には、学歴は必要ない」と思っていたから、高校には行きませんでした

だから、本当は「高校・大学に行かない」という選択もあるのです

「働いてお金を稼ぐ」という選択があります

要は、他人が勝手に決めた「正しいと思い込んでいる選択」にしばられていると、
苦しくなっちゃうよ、ってことです

テレビやなんかのマスコミでいってることを、うのみにしないで、
しっかり自分の目で見抜いてください





Posted by 新垣 幸之 at 22:38│Comments(0)
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。

QRコード
QRCODE
アクセスカウンタ
読者登録
メールアドレスを入力して登録する事で、このブログの新着エントリーをメールでお届けいたします。解除は→こちら
現在の読者数 8人
プロフィール
新垣 幸之
新垣 幸之